青木淳建築計画事務所の2人に聞く、市民が生き生きと活動できる施設のつくり方

2016年春、十日町の新名所となる2つの施設が誕生した。

十日町駅から徒歩7分ほどのところにある、市民活動の拠点「十じろう」。

「十じろう」から更に歩いて3分、十日町の発信・交流の拠点「分じろう」。

中心市街地に完成した2つの施設を設計したのは、青木淳建築計画事務所十日町分室の竹内吉彦さん(写真左)と笹田侑志さん(写真右)だ。

「分じろう」と「十じろう」の設計のため東京からやってきた2人に、十日町での仕事や新施設への想いについて伺った。

2人の設計士が感じた十日町の不思議な魅力

竹内さんと笹田さんは、2014年7月に十日町にやってきた。それまでは「大地の芸術祭」の存在などは知っていても、十日町のことはよく知らなかったという。

「十日町にやって来て最初に感じたのは、『行事が多すぎる』(笑)。ちょうど来たのが夏だったので、色んなところで花火をやっていました。でも見に行きたくても、どこでやっているかなどの情報をどう得たらいいか分からなくて。花火に限らず楽しそうなイベントは多いのに、その情報を統括して見れるところがなくて、不思議な町だなぁと感じました」と、竹内さん。

これには笹田さんも大きく頷き、「週末に複数の行事を掛け持ちしている人までいますよね。午前中はイベント、午後は町内の行事に出て夜は会合があって…とか」。

確かに、市民からも「十日町はイベントが多い」という声をよく聞く。市としての行事が多いだけでなく、夏のお祭りや小正月行事、道普請などの各町内の季節行事、さらにはフリーマーケットやワークショップなど小規模のイベントも非常に多い。それだけ市民活動が活発だということだろう。

2人が設計した新拠点は、まさしくその市民活動を後押しする場所だ。

 

十日町の発信・交流拠点となる「分じろう」。マーケット広場や国宝・火焔型土器が展示される文化歴史コーナーも。
十日町の発信・交流拠点となる「分じろう」。マーケット広場や国宝・火焔型土器が展示される文化歴史コーナーも。

市民の活動の場となる「十じろう」。ギャラリーやワークラウンジ、工作スペースなど充実した設備が自慢。
市民の活動の場となる「十じろう」。ギャラリーやワークラウンジ、工作スペースなど充実した設備が自慢。

 

 2人の仕事場だった分室が、人が集まる場所へと

十日町にやってきた竹内さんと笹田さんは、まず高田町商店街の空き店舗を借り「青木淳建築計画事務所十日町分室」を設置。

設計士が現地に常駐するのは工事が始まってからのことが多く、2人のように設計段階から現地常駐するのは設計業界全体を見ても珍しいそうだ。

「普通に設計をしていると、自分や事務所から出たアイディアしか設計に反映されません。現地に常駐して地元の方の意見や要望を聞いていると、色んな人からのアイディアを設計に入れることができます。『分じろう』内に移築した茶室も、常駐していたからこそ取り入れることができたアイディア。東京の事務所にいたら、きっとその話を耳にすることもなかったでしょうからね」(竹内さん)

商店街に構えた「分室」には、新施設の要望を伝える人だけでなく大勢の人が訪れるようになり、いつしか2人の予期しない方向に転がっていく。

「分室の机や椅子は、僕たちが作ったもの。大工の経験はないから椅子とかぐらついていたけど、自分が座る分には問題ないからそのままにしていました。分室を開放し色んな人が出入りするようになったら、足が悪い人から苦情が出て。『自分が座るには問題ないし、ロッキングチェアみたいでいいじゃないですか』って言ったら、怒られてしまいました。

その人とはそれがきっかけで仲良くなったんですけど、自分たちのプライベートな空間のつもりだった分室が公な空間になって、ちゃんと作んないといけないんだなって身にしみた出来事でした」(笹田さん)

「2014年11月から2015年7月まで一旦東京に戻って仕事をしている間も、分室は開放して使ってもらっていました。するとどんどんカスタマイズされていって、打ち合わせでこちらに戻ってくるたびに様子が変わっていくのに非常に驚きました。ダンス部が立ち上がったり、まさかそんな使い方をするとは、と(笑)。」(竹内さん)

高田町商店街のブンシツ(2015年6月末に閉室し、分じろう近くに移転)
高田町商店街のブンシツ(2015年6月末に閉室し、分じろう近くに移転)

「分室」は2人の事務所としての役割を越えて、地域コミュニティの拠点として歩き出し始めた。カタカナ表記の「ブンシツ」として、市民に活用されるようになっていく。

「自由に使えるハコがあって出入りする人が増えると、こんな風になるんだと感じましたね。新拠点もその延長線上で使ってもらいたい。なので、あえて余白をもったような造りにしてカスタマイズできるようにしました」(笹田さん)

使い方の自由度が高い分、オープンした後使い方が分からなくならないよう「日曜大工教室」というワークショップを開催し地域の人に関わってもらう工夫もした。施設をどうカスタマイズしたらいいかあらかじめ地域の人たちと考え、実際に施設に設置することを想定しながら備品などを作った。

「関わる皆さんはみんな行事慣れしていて、段取りもいいし動ける人が多い。僕たちの設計活動以外のすべてをサポートしてくれるスーパーウーマンなご近所さんがいて、ワークショップについて相談を持ちかけるとアドバイスをくれたり、ビラをまいて告知してくれたり、非常に助かりました。地元の建築家の方からは、人を紹介してもらったり雪に対する設計を教えてもらったりもしました。そういう人がいたからこそ、できたことが多いと思います。」(笹田さん)

竹内さんと笹田さんが常駐していた「ブンシツ」。  「分じろう」裏手の空き地に構えられていた。
竹内さんと笹田さんが常駐していた「ブンシツ」。 「分じろう」裏手の空き地に構えられていた。

 市民が主役になって楽しむ新しい施設

想像だけでかっこよくデザインされた施設では、もしかしたら実情に合わず使い勝手が悪いかもしれない。そうすると、折角の施設も使い続けてもらえない。竹内さんと笹田さんはそうではなく、使う人の声にとことん耳を傾け要望をとりいれ新施設を作り上げた。

オープン以降、施設ではファッションショーやマーケット、商店街青年会による屋台などわくわくするイベントが行われている。どれも市民が主体となって作り上げているイベントだ。市民が生き生きと施設を使うことができるのも、予期せぬ変化を楽しめる2人のしなやかさ、市民活動への温かい眼差しが、施設の隅々まで行き渡っているからではないだろうか。

地元女性が主催したファッションショー
地元女性が主催したファッションショー

青木淳建築事務所十日町分室としての仕事は2016年3月いっぱいで、一区切りを迎えた。2人は東京に戻ることになるが、その後の十日町との関わりを尋ねると、こう答えてくれた。

「今後も事あるごとにやってきて、施設がどんな風になっているか観察したいですね。どう使われるかとても楽しみです。」(笹田さん)

「青木淳建築計画事務所は、4年で卒業するという変わったシステムを採用しています。僕たちはあと2年で卒業。独立した後も十日町とは関わっていきたい。今回、十日町と東京を見比べ経験する生活をしてみて、とても面白かったです。今後もそういう仕事の仕方、生き方をしてみたいですね。」(竹内さん)

新施設の今後は十日町の皆さんにお任せします、自由に使ってください、と笑う竹内さんと笹田さん。

十日町にすっかり馴染んだ2人のように、新施設「分じろう」と「十じろう」も市民に愛され、十日町になくてはならない施設になり始めている。

 

■関連ページ■

分じろう・十じろうオフィシャルサイト

青木淳建築計画事務所十日町分室 「ブンシツ」 FBページ

※この記事は、2016年1月26日の記事に加筆・訂正をしたものです。

(取材:福島)